ミス (p.1479)

「やりそこない。まちがい。ミステイク」
「三国」のこの説明にはなんら問題はない。
 ところで、最近発売された「広辞苑」には次から次にミスが指摘されている。
この辞典の特徴はことばの「辞典」と、歴史・文化に関する項目を取り入れた「事典」をコラボさせたところにあるのだが、ミスはこの「事典」の部にばかり集中している。片方が足を引っ張って不協和音を奏でている感がある。
 この「事典」にはかねてから共産主義に肩入れした説明が多いという指摘がある。国語「辞典」に「事典」を入れると便利だという発想は曲がり角に来ているのではないか。

はし【端】(p.1205)

「長く続いているものの始まり(終わり)」
言い換えとして「はじ」「はしっこ」が上がっている。
「はしっこ」は良いとして、「はじ」や「はじっこ」は東京弁だろう。関西人はこの使い方には強い抵抗がある。
なぜならそれらは「恥じ」を連想させ、自虐的な感じを抱かせるからだ。
これを何の抵抗もなく口にする東京人との感性の違いを感じる。

あて【当て】(p.30)

「〔大阪などの方言〕酒のつまみ」
「三国」はふだん〔関西方言〕と書くのに、「あて」をよりによって〔大阪などの方言〕としたのは確たる根拠があるのだろうか。「など」は具体的にどこの地域を含むのか。ここは〔関西方言〕で良いのでないか。「あて」は東京でも通じるという人もいるし、関西でも世代によって使わない人がいるかもしれない。ことばはつねに動いている。断定するのは慎重に。